用意はいいかい?
 


     7



ようよう手入れされた革靴で、わざとだろう かつんと硬い音立てて。
師走の夜陰に突然降り立った存在、これありて。
いかにも冬仕様のいでたちではあったが、
それにしてはあまりにかちりと整えられた黒いフォーマルもどき。
糊の利いた襯衣に 漆黒の内衣付きスーツだけならともかく、
足元までありそうな長外套に小粋な革の黒手套、
胴を巻く帯に付いた鎖飾りが 月光をちかちかと弾いているポーラーハットまで揃っているとか、
此処は霧の都と称される、英国の首都、倫敦の街角か。
現状はといや、いかにも寂れて人目のない、
紳士が集おう社交場でもない場末の裏路地、しかも灯火の落ちた雑居ビルの屋上に、
足場なんてない外延の中空から 短いきざはしを二段飛ばしで駆け上がってきたような軽快さ、
登攀に要ったろう大仰な装備もなく ひょいと現れたなんて、
TPOをまるきりわきまえない 妖異か亡霊のような所業。
月を背負っているせいで、顔は帽子のつばが落す陰に半分ほど塗りつぶされていたけれど。
すんなりと通った鼻梁や、シニカルな笑みを滲ませた表情豊かな口許だけで、
かなりの美形であることがやすやすと窺える。
その口許をますますと凄艶なまでの笑み深めて弧にし、
体の向きはそのままに肩越しという格好で、
異能で浮かせた格好で拘束中の 怪しい賊の異能者へと声を掛ける。

「手前は運がいい。
 今日は武装探偵社が出張って来てるもんでな。
 正義の味方な兄ちゃん姉ちゃんが居ちゃあ、俺らも派手なことはやりにくい。」

手短な物言いだったが、これで現状が把握できない のろまでは
こういった修羅場で あっという間に命を落とすこと請け合いだと、
そこも何とか判ってはいたらしい、追われていた側の鳥使い。
刃と化した黒獣が四肢に突き立てられるわ、そのままこの高さから突き落とされるわの直後だけに、
この扱いへ震え上がったまま凍り付いているばかりなのがありありしていて、
敦なぞ敵ながら気の毒だと思ったほど。
こんな荒事の現場へ異能を使いこなしてひょいと現れる黒服のお兄さんだなんて、
どう見たって 裏社会系そっちの筋の存在であろうし、
同じような犯罪組織の人間であれ、格の違いからますますと委縮したのは間違いなく。
そこへのこの “悪さはしにくい”発言と来て。

 「え…。」

ちらりと敦の方を見はしたが、はっきり彼(彼女?)がそうだとは言ってなかったし、
こちらにしても意外な展開、
キョトンとするあまり やや強張っているよに見えたろうその上へ、
傍ら間近に立っていた やはり黒装束の芥川が
さりげなく数歩前に出て自分の身で影を作ったので、
敦の姿は、色彩や装いの派手さ以外は印象に残りにくいに違いなく。
しかも、畳みかけるように続いたのが、

 「かといって、手前らを見逃すってんじゃねぇがな。
  まあ、連中に恩を売るネタにさせてもらおうか。」

にやりと笑った幹部殿の凄みに気圧されたか、中空に浮いている不安定な立場が怖かったか、
ほぼ背中を向けられているというのに、
鬼でも相手にしているような心許なさに襲われているらしく。
声もないまま何度も何度もこくこくと、首がもげないかというほど頷いて見せた鳥使いの男へ、
だが、黒づくめの幹部殿からの低められた声は続いて、

 「俺と同じ、重力を操作出来るみてぇだが、
  自分の身以外はどうなんだ?
  さっき飛ばした木偶を浮かすくらいが関の山か?」

 「……っ。」

笑みを含んだままの言いようだったが、
あの場に居なかったはずの存在から見透かされたのはさぞや気味が悪い思いがしただろう。
そうまでも 手のひらの上なのだという格の違いや、
笑ってはいるが決して友好的な笑みじゃあない、軽んじていてのそれであり、
現に自由を奪われて宙に釣り上げられている身、
此処からどうされても已む無き危うい状況だと、あらためて思い知ったらしく。
自身の肩先まで持ち上げていた彼の手の先、
手套をしたままの指先なのにイヤにはっきりとぱちんと音させて指を弾いたその途端、
ガクッと自分の身が落ちかかったのへ、

 「わぁあっ!」

男が必死でひゅっと息を吸い込んだ、
その尻尾が宙に取り残されたような、あまりに唐突な仕儀だった。
えげつないなぁと思わんでもなかったが、
逆に大した仕打ちも罰もなくで遇したら、後々に何でだろうと余計な詮索のタネにもなりかねぬ。
探偵社と実は共闘の機会も多くての、結構長期にわたる停戦状態なのが露見したところで
マフィア側には小手先であしらってるだけとか利用価値があるのでとか、
どうとか言いようもあってのこと 特に問題ないけれど。
もしかして敦が困らぬか、気に病みはしないかと、
それもあっての一応は、口先だけの脅しじゃあないぞという仕置き、
軽くご披露したらしく。

 「……あ。」

余りの突発的な流れだったのへ、敦までもがぎょっとしたものの、
ついつい首をすくめたその耳にどさっとかグチャッとかいう痛々しい音は届かない。
虎の聴力でも拾えなかったのも道理で、
ややあってふわふわと、くったり気絶しているらしい男の身が再び同じ位置まで浮き上がって来、

 「ネズミ―に似たようなアトラクションがあるらしいな。」
 「中也さ〜ん。」

地べたへの衝突のすんででピタッと止めてやったらしいのだが、果たしてそれって、

 “親切って言えるのかなぁ。”

そうだよねぇ。十分恐怖させての、結構なお仕置きだもんねぇ。
大方、可愛い敦ちゃんに怪我させたのを、
兄弟子さん以上に目一杯お怒りだったってことでしょう、うん。




中也が文字通りの小手先で熨した鳥の模型使いは、
このまま朝まで中空にぶら下げておくわけにもいかないので、
羅生門で搦めとった芥川がそのまま引き取った。
ポートマフィアの陣営に連れてかれるらしく、
そもそも軍警や特務課からの依頼ではなかったので そこいらの裁量はルーズでいいのかも?
どうなんだろうその辺りと やや案じつつ、
灯火乏しい路地の闇に溶けるように遠ざかる黒外套の背を見送っておれば、

 「敦。」

改めて名を呼ばれ、素直に振り返る。
さすがにビルの上からは降りており、
雑居ビルの足元の路地裏の小道の上に立つ二人で。
芥川を見送ってる間に
中也の側も今宵引き連れて来ていた陣営への指示をインカムで出していたようで、
本来の目的、何やらドラッグ系の取り引きを構えていたらしきゴロツキは回収しおおせたものか、
其奴らともども全員の収拾と撤退を命じてのさてと。
改めて向き合った敦をまじまじ見やると、小さく笑って仕舞う彼で。

「何か大ふざけな格好だな?」
「しょうがないですよぉ。//////」

しみじみ言われるとさすがに照れる。
これで玩具っぽいステッキでもあれば まるきり何処ぞかの魔法少女だ。
潜入のための変装なんだからしょうがないというのは中也の側だって判っているのだろうに、
髪が伸びてるが かつらか?とか、
化粧までしてんのなとか まじまじ見やって来られるのが今になって恥ずかしく。
そおっとながらも手を伸べて触れられるのへ照れて照れての延長で、

「戻らなくっていいんですか? M美ちゃんとか待ってるんじゃあ。」

彼の側だとて似たような偽装をしてはなかったか。
一応は どこぞかの芸能プロダクションの人間ですという触れ込みで来ているのだろうにと、
そこの破綻を案じているような言い回しをしたところ、

「ああ、そういうのは気にしてねぇ。」

肩をすくめてさして案じてはない素振り。
あの子をあのセッションの代表枠へ滑り込ませてやったのは、
俺があすこへ潜り込むための建前だと言い置いてあっからな。
一人でいろいろ融通を利かせられるところを見込んでのことなんだってところ、ちゃんとわきまえてるよ
…などなどと、年端もいかない女の子を置き去っといていいのかという方向で解釈したらしいお返事が返って来たから。

 “ありゃりゃ。”

こういうところは…比べると怒られそうだから言わないけれど、
あの如才のない太宰と違って たまにこっちの思惑を大きく外してくれるのが何となくかわいい。
言い直して問い直すほどのことでもないかと、
そうなんですかなんてやや眉を下げて笑っておれば、
少しほどこちらを見上げる格好になったせいで、今は月光に隅々まで晒されている麗しい顔容が
ふっと曇って案じるような表情となり、

「…寒くねぇのか。」
「寒いですね。」

ライブハウスから飛び出した折はそんなこと気にも留めなかったのに、
落ち着いたのもあってだろう、気づいたそのまま肩をちぢこめ
剥き出しの二の腕を抱くようにして手のひらで擦れば、
袖を通さずにいた自分の黒い外套をはさと脱いで、こちらの肩にかけてくれる中也であり。
時折太宰にからかわれるほどに 既に敦のほうがやや背は高いものの、
鍛えようの違いから体格の差なんて大したものではなく。
ましてや今の今まではおっていた存在の体温も香りも染みており、
それらにくるまれた途端、肌だけじゃあない、気持ちまでもがふわんと温まって、

 「……暖かいですvv//////」

遠慮して突き返すどころじゃあない、嬉しいと言わんばかりに緩み切った顔になるのが素直なもの。
それへふふんと笑ってやれば、やっと恥ずかしそうに真っ赤になり、
それでも掛けてもらった外套の合わせをそおと握って呟いたのが、

 「昔は平気だったのに。」
 「? 何がだ?」

言っちゃあ何だが彼の生い立ちは知っている。
こういう扱いはされちゃあいなかろうにと小首を傾げる中也へ、

 「石の基礎が剥き出しの、地下の反省房に放り込まれるのがザラだったんですよ。
  だから、凍るような寒さなんて慣れてたはずなのに。」

孤児院に居たころは 懲罰という名目で地下の仕置き部屋にたびたび放り込まれた。
今にして思えば、月下獣の異能が押さえきれずに暴れ出す頃合いを見計らってのことだったのだろうし、
このくらいの苦衷を耐えられねば、
そんな厄介な身の しかも孤児は到底生き延びられまいという歪んだ配慮もあったのだろうが。
真冬の凍るような晩なぞ、眠ったら死んでしまったかも知れないほど冷たい石の部屋だったらしく。
物心ついたころにはもうそこに居てそんな扱いだったのに、
ほんの数年の冬を温かく過ごしただけで、
普通一般の人と同じように 暑い寒いと堪える身になっていると苦笑を見せる。
普通なことを自分に見出し、それを意外だと受け取って苦笑してしまうようなところなのは、
ある意味であの芥川と似たようなものかもしれないし、
もしかせずとも妖異に近しい生まれの自分でも順番がおかしいぞと呆れかかったけれどでも。

 “…まだ話すこたねぇか。”

気を遣われるのが面倒だったし、そんなことはしない子だと察しちゃあいるが、
それでも まだちょっと内緒にしとこうかなと、何とはなく言いそびれている。

 「中也さん?」

ほんの刹那の迷いというか、何か言いかけたみたいな?というところに気が付いたらしく、
小首をかしげる愛し子の髪をポンポンと手袋付きの手のひらで撫でてやり、

 「敦は本当にいい子だよな。」

そうと言って笑った幹部殿。
愛しいという優しい眼差しは暖かで、
いやあのその…と戸惑うように含羞む虎の子ちゃんを、甘いものでも愛でるように見つめつつ、

「そんなところに引き取られるような身になっちまった そもそも、
  敦の親がどういうつもりだったかはもはや判らねぇが、」

中也はふと、そんなことを呟いて。

「薬が蔓延するとな、そういう子供が増えかねねぇんだ。」
「あ…。」

彼の言う“薬”というのは、非合法の麻薬やドラッグと呼ばれる手合いのことだろう。

「素人を引きずり込むのが容易くて、しかも一旦ハマると抜けられねぇ。
 最初はタダだったり安価だったりするのは釣りで、
 もうやめられないなと見越すとどんどん値を釣り上げて、売り手の言うとおりにならざるを得なくなる。
 何をやってでも金を作って来るとか、何なら自分の子供だって犠牲にしかねねぇ。」

それだけはいただけねぇと、
だから 共闘の取り決めはしてないながら首を突っ込んだ自分たちなのだと仄めかす中也なのだろう。
強者であるから持てる矜持というものか、真摯なお顔で語られて、
マフィアでありながらもそういう忽せにはしないものがあるのが敦にも伝わり、感慨深げな顔になる。
実を云や、さすがにウチの首領がそんな善行をモットーにしているとは思えなくともしょうがないと、
中也からして思わないでもなかったりするのだが。
それでも、

 “あの人はこの街がすさんで廃れてゆくのを良しとはしない人だから。”

首領というのは組織の奴隷だと語ったお人。
相容れないはずの武装探偵社との共闘を持ち掛けられた折、
とはいえ悪い話じゃあないあとし、強いて言うならそれが動機と苦笑した。
わざとらしい大儀名分みたいな言いようで、
それこそホントの本心をわざわざ語ってくれるはずは無し、
建前のようなものに過ぎないのかも知れないけれど。
それでも、自分は信じていようと思ったし、
実は人ならざる身なのを持て余すたび、
くさくさしている場合じゃあないと自身を律した礎でもある存在とその意向なだけに、
真偽とやらまで掘り下げるつもりは今でもなくて。
それにしては気障なことを口にしちまったなと噛みしめながら、

 「まあ何だ、敦への言い分けにしようと思った。」
 「なんですよ、それ。」

〆はそれこそ何かを誤魔化しているような言いようだったので、
それへと小さく笑った敦の屈託のなさに、切なげに目許をたわめた重力使いさんだった。





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